2級河川下府川と併設で事業がすすめられた旧路線の橋梁部分です。昭和の初めから始まったこの鉄道事業は多くがアーチ構造の橋梁で、そのほとんどが今でも存在しています。戦争の影響で鉄が不足していましたので、この工法になったようですが、そのために崩壊せずに現在まで当時の様子を土木遺産として残すことが出来たのでしょう。
しかし、昭和40年代に山陽側の新幹線に影響されて、新しいルートで再び事業を始めたものの、昭和55年にふたたび中止となりました。8月8日に県立大学でシンポジウムがありますので、どのような「検証」がされるのか興味がありますね。
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